空と大地の歴史館

第4回企画展示のご案内
一冊の写真アルバムにみる 沖縄開拓の家族たち

【今年の企画展示概要】
2006年11月から12月にかけて実施した企画展示も成功裏に終了しました。
ご協力ありがとうございました。
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タイトル
―土・くらし・空港―
「成田」40年の軌跡1966-2006

・期間 2006年11月25日(土)〜12月3日(日)
・会場 成田国際文化会館 2階国際会議場
・主催 財団法人航空科学振興財団 歴史伝承委員会
・後援 国土交通省・千葉県・成田市・成田市教育委員会・富里市・富里市教育委員会・芝山町・芝山町教育委員会・多古町・多古町教育委員会・横芝光町・横芝光町教育委員会・山武市・山武市教育委員会・成田空港地域共生委員会・成田国際空港株式会社
画像をクリックすると企画展示図録の内容がご覧になます



【今までの企画展示概要】
タイトル
   きのね   てんなみ
「空港前景 木の根・天浪の戦後開拓」

展示期間・場所
・第1次巡回展(成田市・芝山町)
2000年(平成12年)2月14日〜3月18日

・第2次巡回展(成田市・富里町・多古町・大栄町)
2000年(平成12年)11月1日〜2001年(平成13年)1月20日

・第3次巡回展(成田空港第1・2ターミナルビル)
2001年(平成13年)4月24日〜5月22日

旧歴史伝承部会が初めて開催したこの企画展示では、今は空港となっている戦後開拓地区、木の根・天浪で展開された歴史の一コマである戦後開拓を扱いました。人々が戦後新しくやって来て、土地を切り拓き、さまざまな暮らしを経て定住していく過程を、写真を中心に、地図や聞き取りによる証言などを用いて表現したパネル展示です。
以下に、その一部をご紹介します。

※印のある画像はクリックすると拡大できます。

1.木の根・天浪は、ここ
2.戦後開拓とは
3.開拓に来た人々
4.エネルギッシュな入植
5.地名の産声
6.開拓のくらし
7.そして・・・




1.木の根・天浪は、ここ
木の根・天浪は下総御料牧場だったところを開拓して生まれました。
「下総御料牧場」
下総御料牧場は桜の名所として知られ、多くの花見客でにぎわいました。
「青春」
1947(昭和22)年頃。下総御料牧場でくつろぐ、若き開拓者。

木の根・天浪は、北の利根川へそそぐ根木名川・取香川、南の九十九里へ流れる木戸川・高谷川が始まる台地に位置しています。
「開拓地風景」
戦後開拓地の風景。さえぎるもののない平坦な台地には「赤っ風」と呼ばれる強い風が吹きました。

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2.戦後開拓とは
敗戦を迎えた1945(昭和20)年、国内は復員者や引揚者にあふれ、十分な食べ物もなく、働き口も少ない状態でした。それを解消するために国の事業として全国的に始められたのが、荒れ地や山などを切り開いて畑に変える戦後開拓事業です。
開拓に使った農具は、とんび鍬と万能でした。
「とんび鍬」 「万能」

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3.開拓に来た人々
木の根・天浪には、地元からはおもに農家の二・三男が入植し、戦争で家を焼かれた人たちや、本土にいて沖縄に帰れなくなった沖縄出身の人たちも東京などからたくさん入植しました。
「沖縄の人々の集合写真」
1940年代後半か。天浪地区にあった馬小屋の前で。馬小屋は御料牧場当時からあったもので、総ヒノキ造り、電気も通っていました。沖縄出身の入植者たちは、家を建てるまで、ここに仮住まいしていました。

「オガミ」
オガミとは、掘立小屋よりももっと簡単なつくりの小屋のことで、人が拝むときの手の形に似ていることからその名が付いたといわれています。戦後開拓地区には、当初、このオガミがあちこちにありました。生きていくだけで精一杯だった人々は、オガミを立てて、仮の住居としたのです。オガミは開拓者たちの苦労の象徴といえるかもしれません。

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4.エネルギッシュな入植
御料牧場の一部が解放されたものの、すべての人に、生活できるだけの土地がいきわたるということにはなりませんでした。そのため、開拓者のグループ同士の間で、力対力の争いが起きることもありました。当時の新聞記事はそのことを伝えています。
また、開拓者の方々におこなった聞き取り調査からも、限られた土地をめぐって、あちこちでもめごとが生じていたことがわかりました。

この争いはしばらく続きましたが、最終的には関係者の間で協議がなされ、それぞれの配分が決まりました。

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5.地名の産声
小字を命名したのは、開拓者自身でした。小字には、土地の様子だけでなく、人々が開拓地に抱いていた希望や愛情もあらわれています。
たとえば「神台」は、神社、つまり神様がいる場所でした。この神社は、開拓者が自分たちの守り神を祀って建てたものです。
「神社の前で」
1960(昭和35)年頃。木の根。みんなで道づくりをした際に、休憩をしているところ。

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6.開拓のくらし
新しい土地で、開拓者たちは毎日畑仕事に追われ、食べていくだけで精一杯のくらしを続けていました。畳のある家に住み、電気も使えるといった生活ができるまでには、数年間を要したようです。
それでもしばらくすると、お花見や芝居を楽しむ余裕も生まれ、また消防団を結成するなど、人々のつながりも深まっていきました。こうして、生活は少しずつ安定へと向かっていったのです。
「だいこん」
1964(昭和39)年11月。木の根。大根を収穫しているところ。開拓地はこんなに豊かな農地になりました。
「ビール麦」
1960(昭和35)年頃。天浪か。収穫したビール麦を家の前に積み上げたところ。ビール麦は、小麦や大麦よりも高く売れたため、盛んに作られるようになりました。
「すいか」
1967(昭和42)年頃。天浪か。すいかがたくさん実って、出荷作業に追われています。
「神社建立時の演芸会」
1952(昭和27)年4 月11 日。木の根。
地区で神社を建立した際の奉納芝居。出演者は開拓者たち自身です。演目は、喜劇や「国定忠治」などが多かったようです。
「おやつはすいか」
1965(昭和40)年頃。木の根。収穫したすいかは、おやつでもありました。
「消防団」
1963(昭和38)年。木の根。消防団ができたということは、地区がようやく一つの「むら」としてまとまってきたことを意味します。消防団を結成できたのは、戦後開拓地区のなかでは木の根だけでした。

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7.そして・・・
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